5/2(金) 静寂の瞑想体験 in 清澄庭園

「正しさ」からの自由 〜「できる・できない」を超えて見えるもの〜

今日、久しぶりに父と二人で出かける機会がありました。
歳を重ねた父の姿を見て、やるせない気持ちを覚えました。
動きも鈍く、判断力とか理解力が落ちているなと、確かに感じました。

かつての威厳のあった強い父とのギャップに、少し切なさを覚えながらも、
しだいに私は、あることに気づいていくことになりました。

人は「できる・できない」だけで語れるものじゃないということ。
父が兄のことを「いい子だ」と穏やかに話した時、
その一言に、深い愛と記憶、たくさんの思いやりが詰まっているのを感じて、胸が熱くなりました。

体の動きや判断力、理解力の衰えを見て「できなくなった」と判断していた私は、
人を「正しさ」や「効率性」で測っていたのかもしれません。

けれど、そんな見方では見えてこないものがある。
目には見えないけれど、確かにそこにある「愛」や「記憶」や「想い」。
父の静かな一言に、私はそれを感じて、涙が出そうになりました。

実は最近、全く思ってもみなかった言葉をかけられることがありました。
「あなたは全体が見えていない」「コミュニケーションが取れていない」と。
私自身、コミュニケーションをとても大切にしているつもりだったので、
その言葉にはとてもショックを受けました。

でも、今日の父との時間を通して、もしかしたらその人も
「できる・できない」という目線で私を見ていたのかもしれない、
あるいは私自身が、かつて同じような見方をしていたのかもしれない、
そんな風にふと、世の中の色が変わり始めました。

私がずっと大切にしたかったのは「正しさ」ではなく「思いやり」だったのだと。
相手がどんな状態でも、その奥にあるものを感じ取ること。
できることよりも、「今ここにあるその人らしさ」を大切にすること。

父と過ごした静かな時間が、
私の中の「正しさ信仰」を、そっとほどいてくれたのです。

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この記事を書いた人

人が本来持つ能力と可能性を開花させ、一人ひとりが価値ある人生を生きるためのサポートを行っています。
「情熱ラボ」を主宰し、セミナーやワークショップを通じて、情熱を軸とした価値ある人生を創造するための場を提供しています。

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